問いを立てる
なぜの問いがなぜ良いのか(p176 ~ p268)。
「◯◯はどうなっているのか」という問いだとこのような弊害が生じる。
- 「中学生の塾通いはどうなっているのか?」ー「最近中学生の塾通いはますます多くなっている」
- 「大学の先生と学生との関係の実態はどうなっているのか?」ー「大学の教師と学生の関係は希薄である」
このような実態を問う形式の問いだと、「調べればわかるだろう」式の問いになってしまい駄目。
一方で「なぜ◯◯はこうなっているのか」という問いだと以下のメリットがある。
- 「なぜ中学生の塾通いは増えているのか?」これに対して「なぜなら、受験競争が激しくなったからだ」とありきたりな回答を得られたとしよう。これにさらに突っ込み「本当に受験勉強は激しくなっているのか」という問いを投げかける。次に「受験競争が激しくなる」とはどういうことかを考える。
- 「なぜ大学の教師と学生の関係は希薄なのか?」これに対して「なぜなら、教授側にメリットがないからだ」という回答を得られたとしよう。これにさらに突っ込み「本当に教授側にメリットはないのか?」という問いを投げかける。
こういったブレイクダウンの仕方について
thesisproduction.hatenablog.jp
この問いのブレイクダウンは、本質的には原因を探るステップである。 誤っても分解した問いを本当の問いにしてはいけないと思う(論文提出時期が迫っているときは特にそう)。
疑似相関
原因だと思われている要因が実はあまり重要でない場合を、疑似相関という。そのためには直接的な原因だけを結果に当てはめて、そこから次第に原因の数を増やすことをして工夫をして探しあてることができる。
概念レベルで考える
概念でとらえることのメリットは共通性を高め、個別の細かな事情を切り捨てていくことにある。つまりは、個々の細部にこだわっていたのでは見えてこない現象の共通性を概念化することで探しあてることができるのである。
また概念はサーチライトの役割、個別の事柄を照らし出し、分けたり、くくったりする。しかしながら概念と個別の事柄(以後ケース)とを結びつけるのは概念の定義によることがわかる。
この注意ポイントを押さえつつ、概念を使っていこう。
どうしたらよいかというと
- 複数のケースを並べて、それらに共通する部分は何かを考えること。
- それらを共通するものとしてくくることのできる概念は何か?
- その概念をどのような意味で使うのか、定義をはっきりさせること。
これに従って問いを立てなおすと
「なぜいじめが起きたのか」⇨「集団内の異質性が、集団から排除を受けるのはなぜか」
「これは何のケースか?」。たったこれだけの疑問文で具体的な現象をどうやって抽象化するのかについて考えることができる。
実際にやってみる
なぜ居酒屋だけがキャッチセールスを行っているのか」(それは効果的なのか?)
ー どのようにして思いついたかは、はっきりとはわからない。クチコミとは関係ないかもしれないが頭の中で妙につながった。
「口コミの信頼性を担保するにはどうしたらいいのか」
- 全ての問いをなぜにする
- 問いごとに個別のケースを複数みて
- 問いを概念化させる
1.全ての問いをなぜにする
「なぜ老舗とチェーン店では口コミに差異が見られるのか」
「なぜwebサイト間で口コミの信頼性が異なるのか」2.問いごとに個別のケースを複数みて
PDCA
問いをほとんど集中して考えることができなかった。「なぜ◯◯。。。」「なぜ◯◯。。。」と頭の中で繰り返しているだけであった。これではダメだ。だからこそ対処法を考えることにした。
http://rnavi.ndl.go.jp/ln-search/?keyword=口コミ#口コミ
まずはこのサイト。ここに口コミと入れるとそれに関係することがズラ〜っとでてきます。文化とも関係している面もあってなるほどと思いました。
次はこちら
NHK テストの花道 - 過去の放送 - 「発想するチカラ(1)~「広げる」の段~」
イメージ花火と呼ばれているらしい。これをするだけでも発想が広がりそう。
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/files/fwoi.pdf
紙のダウンロードはこちらから。
これらを組み合わせてもよいと思う。口コミが文化と関係するのがわかったなら文化を中心に据えてイメージの花火をやってみるなんてどうかな?
面白いですね。素晴らしいので引用します。
「問いというのは、比較の対象があって初めて生まれてくるものです。一つしかないところには、比較がありませんから、差異の意識も生まれず、したがって、問いも生まれません。」
「これはあれとは違う、どこがどう違うのだろう、またはそれはなぜなのだ、というような問いは、比較することによって初めて生まれるということです。比較でしか、差異への意識は生まれてこないのです。」
著者はその比較の方法を〈類似性と差異性の把握〉と呼びます。例えばヨーロッパではゴシック美術という美術様式が中世に起こりましたが、一つの様式が同じ形で普遍的に行き渡った訳ではなく、フランスゴシック、イタリアゴシックという風に各国の文化、風土に適合して細かく分化していきました。ではそこでフランスのゴシックとイタリアのゴシックをつき合わせて比較したら何が見えてくるか、フランスのゴシック建築は屹立として縦に長いのですが、逆にイタリアの場合だと不思議な事に横に広がっていく様ななだらかな建築なのです。これだけの素材でも「問い」が生まれてきそうですね。そしてこれは著者の言葉で言うと〈差異性の把握〉です。
もう一つの〈類似性の把握〉は、文字通り類似するものを見つけ、点と点を繋いでみる事。これはあえて全く違うものを繋げて見るとかなり面白い問いが立てられます(トンデモ理論に堕する事も多いですが)。例えばゴシック建築というのは非常に「ケバケバしい」外観なのですが、ゴシック様式が徐々に衰微してから100年後くらいに、大陸の果てしない向こうで、同じ様に「ケバケバしい」建築が建てられます。日光東照宮の事ですね。西洋のゴシック様式と日光東照宮をあえて繋げてみれば、何か面白い事が見えてくるのではないか、というのが僕の(トンデモ?)な「問い」なのですが(笑)、極端な例ですがこれが〈類似性の把握〉です。まぁとにかく、近接したものでも遠隔したものでも比べてみる事で「問い」が見えて来る、という事ですね。
そしてこの比較を用いた〈問いを見つける〉方法論は、著者によってさらに深められます。それが「縦軸の移動」と「横軸の移動」です。
「縦軸の移動」というのは過去に遡ってみる事です。例えば先程のフランスゴシックの話なら、ゴシックの前にはロマネスク様式というものがあり、ロマネスクinフランスの時代がありました。ロマネスクからゴシックに移行する時に何が失われたのか、そして何が足されたのか。これはとても大事な論点でしょう。この視点があれば、〈問い〉が作れます。まぁ基本的ですね。
そして「横軸の移動」というのは、歴史的な縦軸の比較では問いが見えてこない時に使える方法論です。これは著者の文を概略的に引用します。著者は成熟したメスの乳房について問題を立てようとしますが、元来、人の体というものは歴史的にあまり変化が無いので、ここでは「縦軸の移動」は通用しません。そこで著者は「横軸の移動」と言って、人間の体の歴史ではなく、猿の体を軸に考察を始めます。人間から猿へ、比較対象を「横」にずらしたのですね。すると、調べてみると猿というのは人間のように膨らんだ乳房を持つ種類は皆無の様なのです。著者は問いを立てます。「なぜ、同じほ乳類の中でも人間の体のみ乳房が発達しているのか」と。これは確かに興味深い考察が得られそうです。
次の1時間50分はテストの花道を使ってやっていこう。
6分を使って。サイトを10分。6分。縦軸、横軸の展開にそれぞれ10分10分。横縦のクロスに3分。
これを2セットこなす。
優越感に浸りたくて口コミをするの?
優越感に浸ったから口コミするの?
口頭コミュニケーションからサイト内のコミュニケーションまでで
何が足されて何が失われたのか。
途上国の口コミはどういったものか
三大欲求を満たす口コミサイト。満たさないサイト。
日本とアメリカの口コミ(軍事学)。
⇦前提としてこれらの先進国では口コミが発展していない
「なぜ老舗とチェーン店では口コミに差異が見られるのか」
「なぜwebサイト間で口コミの信頼性が異なるのか」