卒業論文テーの設定のために④ 2日目 ー 池上彰の宗教がわかれば世界が見える

 池上彰の宗教がわかれば世界が見える

 

 

 

池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)

池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)

 

 

 

宗教と脳がわかる

まずは日本から。日本人は「何か宗教を信じていますか?」と尋ねると無宗教であると答える。また他人がどんな信仰をしていようが関係無い。アメリカでは無宗教といえばアンチ・キリスト。イスラム圏では無宗教と言ったら反宗教。白か黒かをはっきりさせたがる。なぜだろうかよく分からない、とてもきになる。一つは他人がどんな信仰をしていようが関係無いと思う日本人に対して、キリスト教圏の日曜日に家族と教会に行く行為に要する様々なコストを否定されたく無いから肯定されたいから、ということがあげられるのではないのか。

 

宗教で読み解く「日本と世界のこれから」

まずはじめにキリスト教が多くに分けられることに驚いた。カトリックプロテスタント東方正教会、その他といった具合である。

 

葬式ビジネスに乗り出すスーパー?とても気になった。

korobehashire.blog86.fc2.com

戒名の値段は本来決まっていないのだがそれを決めてしまうスーパー。でもそもそも戒名料とは何なのか、不思議がたくさん出てくる。

 

次は、中東は何なのか。

diamond.jp

そして、イスラム教について知ることで中東がわかるらしい。調べたい欲がたくさん出てきた。

 

 

ここからはPDCAのCheck(検証)⇨Action(改善)⇨Plan(計画)をする。

 

  1. 本の目次をしっかり見ることができた。読みたい箇所とあまり読みたくない箇所を読むことができた。なぜなら読みたい箇所と関連する章を探しあてることができたからである。もっと改善をしたい…ならどうしたらいいだろうか。関連する章をできるだけ見つけやすくしたい。作業的なものを取り入れたい。じゃあ、要素を砕いていけば見つけれるのではないかと思った。例えば宗教なら人、ビジネス、無意識、多宗教、神様などなどあげられる。また、いい死に方ならなぜ「いい死に方」が取り上げれるようになったのか死に対して意識するようになったからなのか、宗教ごとの死に対する感じ方。砕いて砕いて関連しそうなものを見つける
  2. 細かく文字を追った。大局的にも読めたのでこのまま続けてみようと思う。
  3. 記録したものの手応えは感じなかった。本を開いて該当箇所をほぼ写していただけだったからね。
  4. ネットで調べたが時間が足りなかった。20分じゃあ時間が少なすぎる。もっと調べたかった。3と4は逆だと感じた。というより調べながら記録していくものだ。なので3と4は分けずに次からは行う
  5. 馴染みがなさすぎる言葉(=聞いたことのない言葉、内容の知らない言葉)として今回は、戒名を選んでAntenaで登録した。これはこれでいい。だが、馴染み深すぎる言葉は選べなかった。判断基準が曖昧だったからである。固定な価値観をその言葉に対して持っている時に登録しよう。具体的には1つしか価値観を思い浮かばなかった時、例えば宗教なら馬鹿といった具合である。
  6. しっかりと休憩できた。快適な休憩の方法をもっと探求したい。

 

何か大切なことを忘れている。最終的には卒業論文テーマをいくつか提示しなければいけないのだ、3月3日までに。本を一冊読んだらテーマを無理やりにでもいいから考える必要がある(目的、課題=テーマ提示を完全に見失ってた。なので計画を立てるときはSpecificを考えてからにしよう)。具体的には、私は1〜5のステップが終了したらテーマを1つ提示することにする。

Cの時間が長すぎるので1時間にしようと思う。そして30分をDoの時間にあてる。

 

 

深く読んでみた

 

無常について

原文

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 

 

現代語訳

 川の流れは途絶えることはなく、しかもそこを流れる水は同じもとの水ではない。川のよどみに浮かんでいる泡は、消えたり新しくできたりと、川にそのままの状態で長くとどまっている例はない。この世に生きている人とその人たちが住む場所も、また同じようなものである。 

 

無常、つまり永遠に変わらないものは1つもないこと。記憶に新しい3.11の時から日本人は現世を無常と捉えるとともに、信仰によってつじつまを合わせたい、帳尻合わせをしたいという思いを持ったはず。納得したいのではないか。

または行いの悪い人がなぜ痛い目に合わないのかおかしいのではないかという残酷な現実から逃避するため、つまりは悪い奴は来世では地獄に落ちるにちがいないと思う。

このような動きから宗教が育っていく。結局は心の安泰を求めているのだろう。

 

 

宗教から世界経済を見る

 

ウーサマ・ビン・ラーディン 

 

アルカーイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンは、アメリカ合衆国政府によって、2001年9月11日(以下、日付・時間はいずれもアメリカ東部夏時間 (EDT) )に発生したアメリカ同時多発テロ事件の首謀者と断定され、それ以来アメリカにとってビン・ラーディンを抹殺することが一つの大きな目標となった。 (wikipedia)

 

そもそもアルカーイダとは何なのか。

 

そもそもイスラム国とは何か。

 

 イスラム教国 - ムスリムが多くイスラム教が社会の中心となっている国のこと。イスラム教を国教としない国も含む。イスラム諸国。(wikipedia)

= ムスリムすなわちイスラム教の教徒が(宗教を信仰している人)多く唯一絶対の神を信仰し神が最後の預言者たるムハンマドを通じて人々に下したとされるクルアーンの教えを信じ従う宗教、が社会の中心となっている国のことを指す。

(イスラム教は、ユダヤ教キリスト教の影響を受けた唯一神教偶像崇拝を徹底的に排除し神への奉仕を重んじ、信徒どうしの相互扶助関係や一体感を重んじる点に特色があるとされる。)

 

 

そしてアルカイダの元となる組織はアラブアフガン。これは1979年のソ連アフガニスタン侵攻に対抗するために多くのムスリム義勇兵(=正規軍に所属せず、金銭的見返りを求めずに自発的に戦闘に参加した戦闘員を指す)が結集した組織。

(ソ連軍のアフガニスタン侵攻の際には多くのムスリム志願兵がムジャーヒーディーンの一員としてイスラム側に20か国以上から約20万人が参加したとも言われている。)

1973年、旧王族のムハンマド・ダーウードクーデターを起こして国王を追放し共和制を宣言して大統領に就任。新しい国名はアフガニスタン共和国en)。アフガニスタン社会の近代化と軍事近代化を目指しソ連に接近しイスラム主義者達を弾圧する。

アフガニスタンの歴史を振り返るとこうなっている。アフガニスタンソ連に接近しイスラム主義者たちを弾圧する。その後、アラブアフガンというソ連の侵攻に対抗するためのムスリム組織ができる。

⇦なぜソ連イスラム主義者たちを弾圧するアフガニスタンを守るのか?また、なぜイスラム主義者のソ連に対抗するのか。

 

 

歴史| アフガニスタン事務所 | 海外のJICA拠点 | JICAについて - JICA

王政に反対しようとカブール大学の講師、学生が運動を起こした。のち1965年に社会主義を目指すアフガニスタン人民民主党(PDPA)が結成された。

もっと歴史を遡ると、1956年ソ連アフガニスタンへの経済援助と軍事援助を開始。(

冷戦の原因と終焉)1964年には、アフガニスタンの健保が改正され立憲民主制に移行。この憲法で女性の教育の権利や就労の権利、そして参政権が認められ翌年の1965年にアフガニスタン初の普通選挙が行われた。のちに大学の講師や学生らが運動を起こしPDPAが結成されることになる。PDPA書記長のタラキ、副書記長のカルマルはそれぞれ機関紙を発行。タラキはハルクという、カルマルはパルチャムという機関紙を発行。PDPAは機関紙名を冠した(かんした)ハルク派とパルチャム派に分裂。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

(冠したの使い方について)

 

共産党に対抗してイスラム勢力も活動を開始し反共宣伝を活発に行う一方で、エジプトなどから持ち込まれたイスラム改革運動を展開するようになる。

1973年にはダーウードが大統領に就任し共産党員を大量に登用し、イスラム勢力を弾圧。そのため、イスラム勢力の指導者達はパキスタンに亡命する。やがてダーウードはクーデターで支持してくれていた共産党勢力を排除し、独裁体制を築いていこうとするようになった。こうした中、分裂していたハルク派とパルチャム派は合流してまとまった。そして1978年4月、人民民主党は親ソの軍人たちの力で、再びクーデタを起こした(4月革命)。このクーデターは、ダウドとその家族が皆殺しにされるという凄惨なものでした。

 

なるほど。。。なぜイスラム主義者のソ連に対抗するのか。は解決した。ダーウードが共和制を築いたのは束の間、独裁体制をするようになってしまい結果的には共産党を弾圧することに。つまりは、イスラム主義者たちの弾圧。

流血のクーデタによって人民民主党PDPAが政権をとると、アフガン民主共和国となり、アフガニスタンの国旗が緑色から赤旗に変わりました。初代大統領となったハルク派のタラキは、内政では土地改革や男女共学制度の推進などの革命路線を断行しました。それに対して、イスラム指導者や部族長などが強く反発し、各地で反乱が発生します。外交では、78年12月に、ソ連との間で平和友好協力善隣条約を終結しました。 

各地で反乱が発生しイスラム教国から発展したムジャーヒーディーン(聖戦士)が蜂起(この時はアラブアフガンともいう。これらは1979年のソ連アフガニスタン侵攻に対抗するために多くのムスリム義勇兵(=正規軍に所属せず、金銭的見返りを求めずに自発的に戦闘に参加した戦闘員を指す)が結集した組織。)のちにソビエトがそんなことじゃあかんわしらは共産主義やぞなのになのしとるんや裏切り者というわけで、軍事介入。こう言う蜂起のこと、つまりは宗教的義務を行うムスリム者をジハード主義者という。ジバードとは「聖戦」と訳されるが,イスラム伝播のためイスラム教徒に課せられた宗教的義務。ジハード必ずしも武力によるものではなく,心による,論説による,支配による,さらに剣による4種のジハードに分かれる。そして彼らは1989年のソ連軍のアフガニスタン撤退後、新たなる異教徒を敵国と定める

 

なぜソ連イスラム主義者たちを弾圧するアフガニスタンを守るのか?これも解決した。結論は時系列をかっ飛ばしているからである。

 

1990年、イラクが隣国クウェートへと侵攻する湾岸危機が起きると、近隣国のサウジアラビアは国土防衛のためにアメリカ軍の駐留を許可した

しかし、サウジアラビアといえばイスラム教の聖地メッカのある地である
神聖な地にアメリカ軍が駐留することに多くのイスラム教徒は反発し、その一人である同国の巨大ゼネコンの御曹司、ビンラディンアメリカを聖地を占領する十字軍とみなして彼らを追い出すことこそジハード(聖戦)だと主張した

この理論によって、ビンラディンアルカイダを立ち上げ、欧州を中心として排米的なテロが世界各地で頻発するようになったのだ
(これまでのアルカイダが起こしてきた欧米での主要なテロのまとめはこちら

 

 

 

なぜ湾岸危機が起きたのか。

www12.plala.or.jp

 

翌年1月17日にジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領はアメリカ軍部隊をサウジアラビアへ展開し、同地域への自国軍派遣を他国へも呼びかけた。

⇦なぜサウジアラビアだったのだろうか。

1つには親米国家であったから。石油を守らなければならなかったから。アメリカの思惑。

 

聖な地にアメリカ軍が駐留することに多くのイスラム教徒は反発し、その一人である同国の巨大ゼネコンの御曹司、ビンラディンアメリカを聖地を占領する十字軍とみなして彼らを追い出すことこそジハード(聖戦)だと主張した

そしてビンラーディンはアルカイダを立ち上げ欧州を中心として排米的なテロが行われるようになった。

 

その後アルカイダは後ろ盾であったアフガニスタンタリバンを失い、弱体化したものの彼らのジハード主義は世界中へと蔓延し世界各地でテロを引き起こしているのである

https://ja.wikipedia.org/wiki/ターリバーン

タリバンとは1994年にアフガニスタン南部で活動を開始したイスラム原理主義組織。

ターリバーンはその運動。

 

 本に戻る。

 

パキスタンで大規模なテロが起きたとのこと。なぜ起きたのか

 

パキスタンは,アフガニスタンの「タリバン」政権を承認していたが,ムシャラフ政権は,2001年の米国同時多発テロ事件後,同承認を取り消し,米国が主導する「テロとの闘い」に加わることを決定した。これに対し,北西部の「タリバン」支持勢力は,同政権に反発してテロを多発させた。また,2007年12月,パンジャブ州ラワルピンディで「パキスタン人民党」(PPP)のベナジール・ブット元首相が殺害され,これに抗議する暴動がシンド州などで発生するなど,パキスタン国内の治安情勢は悪化した。

2008年9月に就任したザルダリ大統領は,ムシャラフ政権と同様に,「テロとの闘い」を推進し,北西部において「パキスタンタリバン運動」(TTP)などの「タリバン」支持勢力に対する掃討作戦を継続した。

 

 

 

www.moj.go.jp

 

 なるほど元はイスラム国であったが反イスラム国になったのか。だからか。

 

アフガニスタンの「タリバン」政権を承認していたが,ムシャラフ政権は,2001年の米国同時多発テロ事件後,同承認を取り消し,米国が主導する「テロとの闘い」に加わることを決定した。なぜこういう経路をパキスタンはたどったのか。

もっと詳しく。序章 | 池上彰が明かす! イスラムビジネス入門 パキスタン編

 

米軍の攻撃が強くなった。また戦争の悲惨さを認識しだした。とか色々考えられるでしょう。